なものが生まれていったに違いありません。
そういう意味で律令時代、日本の8世紀、まさに正倉院の時代というのは日本文化が大きな転換を遂げていく、その萌芽期に当たっているというようにとらえるわけであります。そのように考えてよければ、日本文化の基本的な形、私どもが日本的なものと呼んでいる原形は正倉院にあるのではないかと思いますが、そういう簡単なことを図式化して申し上げましては、大変誤解を招くと思います。それでできるだけ誤解のないように少し視覚に訴えながらご覧いただきたいと思いますので、ただいまからスライドでご紹介させていただきます。
(以下 スライドによる説明部分 省略)
以上ご覧いただきましたように、正倉院には中国や朝鮮の諸国のほか中近東の諸国からの品物がたくさん伝わっております。
毎年奈良では正倉院宝物の展覧会を催しております。大勢の方がその展覧会にいらっしゃいますが、展覧会をご覧になる方々は珍しいものを見るということだけではないのではないかというふうに思っております。私どもは展覧会の会場で宝物を観覧しておられる方がどの宝物に興味を持っているのかとか、どのような見方をしておられるのかということに注意をしております。多くの人が宝物の中に現代の私どもの生活文化と関わり合いのあるものを発見して日本文化のルーツを見出しておられるように思います。そしてさらに正倉院宝物の向こうにシルクロードを見ているのではないでしょうか。ですからこのようなことから私どもがシルクロードに大変な愛着を持っているということがおわかりいただけると思います。
もう少しそのことを考えてみますと、シルクロードと、こういう言葉を聞きますだけでも日本人は何か心の中がわくわくするような、そういうものを感じるというふうに言われております。一体それは何かと言いますと、今も述べましたように、シルクロードを伝わってきましたさまざまなものが私どもの日本に伝わっておるわけでありますが、それが今正倉院に納まっているからでしょうか。
私どもは世界のさまざまなところに旅行することが今現在できます。現代文明の真っただ中に身を置きたいという人もあれば、現代からできるだけ離れたいという人もいると思います。アメリカやイギリス、フランスに出発する人もおれば、ギリシア、ローマあるいはインドを初め、東南アジア、または南米大陸やアフリカなどの古代文明を求めて旅をする人も少なくありません。先日の正月休みなどを利用して海外に出かけた人は何十万人というふうに言われております。行く先々でお国柄も違いますし、その地で誕生して育まれてきました文化というものは、私どもの理解をはるかに越えております。したがって見るもの聞くものすべてが、私どもの知的好奇心を満たしてくれるわけでありますが、またそういう意味では私どもの生活の心の琴線に触れるものも多いと思います。異文化に触れて見聞を広める、また感受性を高めるということもあります。
しかし、私どもがシルクロードの文化に触れたものとはやはり受け止め方が違うのではないかというように思います。多くの日本人がシルクロードの旅を楽しんでおられます。これは珍しいものを見るということではなくて、シルクロードの国々の中に私どもに関わりの深いものが少なからずあるからではないか。すなわちそこには私どもの文化のルーツがあるというふうに思います。
シルクロードの周辺諸国の方々と私ども日本人が人種的に同じであるかどうか、そういうことは人類学についての専門外である私にはわかりません。しかし、私どもの文化がシルクロードを通って伝わってきたことだけは間違いない。それは今ご覧いただいてご理解いただいたとおりであります。しかもその文化は私どもが西洋文明の中で見出すものとは違った、私どもの原点に近いものが、これは精神的なものも含めてですけれども、それらの国々の中で見つけることができるからではないでしょうか。
時々私どもは、もしも正倉院宝物がこの世に存在していなかったとしたら、一体私どもは日本人
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